練習の量、練習の質

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翻訳者になろうと必死であがいている時も、幸運にも翻訳者の末席に名を連ねることができた後も、翻訳関係の勉強は時にサボりながらも何とか継続してきたつもりです。しかし同時に、勉強方法については常に悩みの種でした。この勉強法で良いのだろうか、無意味な勉強をしているのではないか、と常に疑問に付きまとわれている、そんな感じでした。

興味深い実験のお話

そんなとき、ある書籍で興味深い実験の話を読みました(書籍名を紹介したいところですが、いつどの書籍で読んだかは覚えていないのです。残念ですorz)。
その実験は、美術的教育背景を持たない学生をAとBの2つのグループに分け、粘土細工を作らせる、という内容です。その際、グループAには「できるだけ多くの粘土細工を作ってくれ。その質は問わない」との指示があり、グループBには「できるだけ質の高い粘土細工を作ってくれ。その量は問わない」という指示が出されました。両グループの学生とも、それぞれ指示を忠実に遂行しようと努力を尽くしました。実験期間の終了後、驚くべき結果が出ました。出来上がった粘土細工の量は当然ながらグループAの方が多かったです。では質はどうだったか。なんと、粘度細工の質もグループAはグループBをはるかに凌駕していたのです。

私が得た教訓

この話はかなり衝撃的でした。私はこの話から次のような教訓を得ました。未経験の分野に関しては、まず練習の絶対量を確保すべき。もちろん初めから質の高い練習ができればそれに超したことはないが、未経験の分野では、そもそもどの練習の質が高くて、どの練習の質が低いのかはわからない。練習方法について悩むより、とにかく練習量をこなす。ただ練習量をこなした後に、そこから得られた成果を検証し、練習法に微調整を加えて行けば、練習量はある時点で必ず練習の質に転化する。練習の質が上がると、その頃には豊富な練習量は習慣化しているので、質の高い練習を豊富にこなすことができ、実力の向上に大きく寄与する、ということです。

質の高い練習とは

質の高い練習、とは人によって異なるのだと思います。その人の性格や、その時点の実力、体力などさまざまな要素が複雑に絡み合って、その人にとっての質の高い練習が決まってくるのかと。そのため、ある人にとっての優れた練習方法は、他の人にとっては必ずしも優れた練習方法とは限らない。むしろ害になることさえあると思います。

そして優れた練習である絶対条件は、「続けられる練習方法であること」、だと思います。たとえ専門家やその道の大御所と呼ばれる人が勧める練習法であろうとも、実際に練習する人が続けられなければ、それは優れた練習方法とはいえない。さらにいうと、続けられないことはないが、続けることが著しい苦痛を伴う場合も、その人にとって優れた練習方法ではないと思うのです。

練習方法はいくらでもある

思うに練習方法なんてものはいくらでもあります。1つの方法が自分に向いていないことが明らかとなっても、他の練習を探せばいい。自分に合った練習法は必ずあります。一番やってはいけないことは、成果があがらないからといってそのまま練習自体を放棄することだと思います。いろいろな練習を試して、自分にしっくりくる方法を存分に実行すること、そこが出発点で良いと思います。(了)

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